ら抜き警察

「警察がきた!!」と、嫁ちゃんと娘ちゃんに言われるんですよ。
「ら抜き言葉警察」。

ぼくの2大現代日本語気になるポイントが「ら抜き言葉」と「キラキラネーム」で、どちらも同じくらいそわそわして、どちらも同じくらい社会生活においては聞き流します。
社会的に賛否両論あるものは、保守とも革新ともつかず、ふわっとさせとくのがふつうの社会人なのです!業務に関係ない無駄な分断はいらんのです。宗教と政治厳禁なのです!!

ですが家族は社会ではないので、娘ちゃんには容赦なく「食べれる」を「食べられる!」と指摘します。うわぁ、おとうちゃん面倒くさーい!臭いのは身体だけにしてー!!(※まだそこまでは言われてないです)

別にほんとはどうでもいいんですよ?ら抜き言葉。言葉なんて時代によって変わる、今はその過渡期でしょ?知ってますぞ。兼好法師も言ってます。言ってたっけ?それはキラキラネームの方だな。まあいいや。

さらに言うと、「ら」って受動と可能と敬語の狭間で結構不便なんすよ。
ぼくゲーセン店員で、お客様とかクレーンゲームとかに携わってるんですが、ここで受動の「ら」が、けっこう邪魔だったりするのはリアルで感じてるんです。

「無料チケットで景品をとられた……」

って言うと、まあ前後の文脈はともかく、敬語なのか「取られた!チクショー!!」って意味か、若干分かりづらいんですよ。
そう、文脈では分かるんです。

ただね。

おなじコトバ使ってて、「敬意」と「非難の意」が似てるって、結構危うくねいすか?
これを「獲れた」という「ら抜き」言葉にすると、一気に一発で受動だと解るんです。スゲー!便利!!革新的!!!
手放しで肯定じゃないすか!警察、解体!!
革命っすね!!

そうなんすよ、ぼくわりと実は「ら抜き」、そんなに反対してないんすよ?

日本語はわりと常々いろいろ未完成というか、ふんわりというか、もしかして相当非論理的なのでは?と思う部分も多々あるのです。みんな知ってますよね?
一方で、このふんわりが日本人を日本人たらしめてるとも思うのです。主語を曖昧にするとか、省くことで受け手に解釈を委ねるとかね。非論理的!
でも、共感を大事にしたいならば、あんまり言語ルールをガチガチにしちゃうと「ですよねー」で返事できなくなっちゃうっすよね。

ヒトの思考は言語によって行なわれるイメージがあるので、日本で日本語で思考すると共感と空気読みの世界観になったり、そんな日本人でも英米で暮らして英語で思考すれば、日本人の癖に割合論理的だったり、主語が強くなったりするイメージがあります。(※イメージです)

どちらが優秀、という話ではないですね。良し悪し。もっと言えば、どっちも面白い、興味深いと思います。

それでいて、なんで娘ちゃんの「食べれる」を指摘するの?

「食べられる」って、受動のイメージ強くないすか?「おばあちゃんがオオカミにたべられちゃったー」ですよ。
「オオカミはおばあちゃんを一口で食べられたのだー!」
って言われたら、一瞬「???」ってなりません??いやぼくはなりませんけども!
「たべれた!」って言いたくなる気持ちは解るし、理に敵ってるともおもうんですよ?

ただまあとりあえず、「現状での、デフォルトを知っておいてほしい」

そんくらいですね。あんまし警察やるのに、そこまでの意図はないぽいです。
でもまあ、幅広く知っておいて欲しいかなぁ、と……。
「食べられる」が受動とか可能とか尊敬とか知ってた上で、好き勝手使ってほしいかなー、みたいなね。
日本語のおもしろの部分なのですよ。実用的な部分ではなくね。

それもきっと、20年もしたら過去の言い回しになりそうところなんです。受動の「られる」なんて淘汰されますよね、多分。過渡期。
この言葉の妙、面白さを知ってほしいからこそ、ぼくは家族の前で警察であり続けるのです!

いや嘘ついた。そこまで全然考えてねっす!!
単に気になるだけっすね!!いつも口うるさくてごめんね!!

でも警察はやめんからな!

「ら」!!

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